みなさん調子はどうですか?
このブログの管理人の斉藤です。
とはいっても、まだ初めましての方もいらっしゃるかと思います。そこで、今日はちょっと自分のプロフィールについて書いていこうかと思います。
「えっ、斉藤になんて興味がない??」
まぁ、そう言わずにお付き合いいただければと思います。
お好きな見出しからお読みできます。
環境が人間を支配する
運というモノがあるのかどうかはわからないのですが、生まれ育った環境というものは運以外の何モノでもないといえます。
私の場合はというと、爺さんも父親も、親戚のおじさんも、いとこもみんな、起業家や経営者ばかり。
物心ついた時には、私自身も起業家や経営者になるもんだろうなと考えていました。
そう言う意味では、生まれながらにして恵まれた環境にいたと言えます。
人間という動物はダーウィンが言うように環境によって大きく支配されてしまいます。
もし、あなたの夢がいまいち実現できていないとすると、それは環境によるものが大きかったりします。
成功するために必要なものは正しい環境、正しい目標、そして正しい指導者だと言い切れます。
この3つの要素があれば8割型成功していると言っても過言ではないです。
そして、最後に左右するのが運なんだと。
ただし、運をつかむのも手放すのも、その人次第。この国は本当に自由な国なんだと思い知らされました。
サラリーマンになったら負け
「サラリーマンになったら負け。」って過激なことをいうと、怒られてしまうかもしれませんが、これはまぎれもない事実です。
特に日本のサラリーマンの場合、ほとんどの会社で自社株を購入すること(ストックオプション)ができません。
それって会社員ではなく従業員でしかないんですよね。
自分の時間を切り売りすることで対価をもらっているに過ぎないTime Work Service。
つまり時間給労働者、バイトと同じなんです。
安定した給料(笑)と引き換えに自分の人生を切り売りする…それがサラリーマン。
サラリーマンで飼われている限りは、お金持ちになることは、はっきり言って無理ゲーに近いです。
株や不動産などの投資家にならない限り、Time Work Serviceなので自分が働いていない時にはお金が発生しないからです。
経営者にピンハネされた給与しかもらえないからです。
まぁ、詳しくは私のメルマガ等で話していきますが、はっきり言って日本式のサラリーマンモデルは終わっています。
そういう不都合な部分を教えないように、社員教育という名の洗脳をしてくるわけです。
お金持ちになるためには、自分が働いていない時にもお金が入ってくる仕組みを作ることが最重要です。
日本のサラリーマンの場合、副業や投資などをしない限り難しいわけです。
とまぁ、こんな偉そうなことを書いてはいますが、そんな負けだと思っているサラリーマンに、まさか自分がなるなんて思ってもいませんでした。
当時の私には先ほど話した成功のための3つの要素のひとつ、正しい環境しかなかったわけです。
人生、初めての挫折
小中高と平凡な生活を送っていました。どこにでもありそうな平凡な学生生活。
可もなく不可もなく、明確な目標もなく、このまま過ごしていけるだろうと思ったのが大間違いでした。
大学入試勉強の内容が全く頭に入ってきませんでした。
つまり、頭が悪かったわけです(涙)
また、自分で言うのもなんですが、斉藤は人一倍誘惑に弱い男。
ちょっとだけ息抜きに漫画を読んだり、ゲームをしたり、テレビを見たり、一日中息抜きをしていることがほとんどの生活。
現役時代はもちろん受かるところもなく、浪人一年目に突入。
高校の友人達が、華の大学生活をエンジョイしている中、毎日予備校生活に。
それでも仲の良かった友人達が
「斉藤なら来年は受かるから大丈夫。」
と言ってくれたのはすごく嬉しかったのを覚えています。
そんな友人のリップサービスを信じた僕はと言えば、相変わらずの誘惑に負けての再受験へ・・・。
結果、浪人一年目にして受験した全ての大学に落ち、浪人二年目に突入!!
もう後がなく、仲の良かった高校時代の仲間も蔑むような目で私を見ながら、
「斉藤なら来年は大丈夫・・・。」
友人達の声はすごく小さかったことを覚えています。
人間って言うのは二年も世界のつまはじきになると精神的におかしくなるようです。
周りの目を気にして生活をしながら、今思えば負のオーラを全開に出しまくっていました。
浪人生とかが変な事件を起こす気持ちもよくわかりました。
私も高校時代の仲間がいなければ、そっち側の人間になっていたのではと、今思いなおしても恐ろしいです。
そんな浪人時代、これは本当にヤバイ状況になったと思い、生まれて初めての猛勉強。
ただ残念なことに猛勉強をしても、元の人間の脳みそがアレだと大した結果が出ないんですよね。
二年浪人をしたところで早慶レベルの頭になるかって言うとそんなわけはなく、足元にも及ばないレベル。
結果、なんとか名前を書けば受かるレベルの三流大学に二年浪人して入学という挫折を味わいました。
将来のない三流大学
周りは私よりも2年も年下。
人よりも遅く入学した私には焦りもあって、せめて知識だけはと、毎日読書三昧をしていました。
浪人時代に知った本の魅力に取り憑かれていたということもあったのですが、そもそもこんな三流大学を卒業したってロクな就職先なんてないし、ましてや二年浪人をした人間なんかが入れる会社なんてあるわけもないわけです。
そして育った環境が私に言います。
「サラリーマンになったら負け」と。
だったら、もういっそのこと大学卒業と同時に起業をしてやるぞと。
斉藤のことをバカにしてきた奴らを(被害妄想で勝手に思っていただけですが)見返してやるぞと。
ただ残念な話、上でも書いたのですが、めっちゃくちゃ誘惑に弱いんですよね。
そして大学在学中に出会ってしまいました、最大の誘惑・・・キックボクシングに。
当時はK-1全盛期ということもあったり、二年間全く運動をしていなかったこともあってか、毎日キックボクシングのジムに通うようになったわけです。
そして、気がつけばキックボクシング仲間とタイに修行に行っていました。
微笑みの国が僕の人生を変えた
現地のマンスリーマンションを借りて、通算で3ヶ月ほどタイでムエタイ修行をしている時に思ったのは、ナックモエ(ムエタイ選手)というものが恐ろしく貧乏だということ。
タイという国が日本に比べて当時はかなり貧乏な国だったのですが、その中でもムエタイ選手はトップレベルで貧乏。
貧乏な少年達は、地方からバンコクのムエタイジムに住み込みで修行に来ています。
朝から夕方まで練習に明け暮れ、ムエタイのチャンピオンになることが彼らが唯一残された大金をつかむチャンス。
彼らが他に大金をつかむのに残された道は、芸能人になるか、身体を売るか、ギャングで生き残るしかないわけです。
ムエタイのチャンピオンになるっていう目標は、大学の入試とかそういうレベルの争いではなく、本当に国体で1位になるとかそういうレベルの話。はっきり言って無理ゲー。
そんなタイでのある日、お世話になっているムエタイジムのトレーナーから誘われ、一日中ムエタイをやっているTV局に招待されました。
会場内は大歓声と熱気で包まれ、私も興奮していたことを覚えています。
リングサイドで白熱した試合を観戦していると、でっぷりとお腹に蓄えたおっさん達が、身振り手振りで「どっちが勝つか賭けないか?」と言ってくるわけです。
そうなんですよね、ムエタイはタイでは国技であり、賭けの対象なんです。
そして、ムエタイ選手はその賭けの対象となる駒でしかない。
お金をより多くつかんでいるのは、こうした周りで仕切っているブローカー達。
結局はやる側とやらされる側に世界は支配されていることを思い知らされました。
応援していたジムの選手は相手のヒジが額に入り、パックリと流血。
あえなくTKOで敗退。
医務室で割れた額の傷口を雑巾のような布で拭い取り、麻酔もなしで縫っていく。
当たりどころが悪ければ死ぬこともある格闘技。
彼らは生きるか死ぬかの境界線に生きていました。
K-1が大人気だったこの頃、こんな世界で生き残れる奴なんて日本で1人か2人。
「私が生き残ることはできるのか?」
答えは即答。私はムエタイを辞めました。
ビジネスチャンスはどこに落ちているかわからない
ムエタイ選手を諦めていたころ、タイで何かビジネスのネタになるようなものはないか探していました。
何をすればよいのかわからず、当時は焦っていたのを覚えています。
そんな時に出会ったのが、住んでいたマンスリーマンションで知り合った高木さん。
高木さんはベトナムでカフェバーのオーナーをしていて、その他にもタイやベトナムの古着を日本に輸出していました。
数か月に一回、古着をコンテナに詰めて日本に輸出。
安く仕入れて高く売る。商売の基本ですが、当時の私の目には新鮮に映りました。
高木さんいわく、昔バックパッカーで知り合った仲間と、この古着輸出のビジネスをしているのだそう。
ビジネスって本当にどこにチャンスが落ちているかわからないですよね。
タイの安宿のドミトリーで知り合った仲間とビジネスで成功しているわけですからね。
ある日の夜、その高木さんが良く行くタイの屋台に連れて行ってくれました。
タイの食事のほとんどは屋台で成り立っています。
その中でも美味しいお店があるからと連れて行ってくれたわけです。
「ここの飯がうまいんだよ。」と高木さん。
一口食べて私の人生が変わりました。
タイ料理なのに辛くなく、日本人の口の合った料理。そして、更に斉藤の目を引いたのは、その屋台のオーナー。
仕事はスタッフに任せ、ランドクルーザーの横で両手に溢れるほどの札束を数えては輪ゴムでとめていました。
結局はやる側とやらされる側にこの世界は支配されている。
『今、このタイ料理を日本に持ってくれば、やる側に回れるぞ。』屋台のオーナーがテーブルの上に輪ゴムの束を積み上げていく光景が、私にタイ料理を一層美味しく感じさせてくれました。
やる側に回ると決めたタイ料理店・・・
就職活動?そんなものは一切なし。
なぜなら、すでに話した通り、二浪の三流大学卒を雇ってくれる就職先なんてないですし、生まれ育った環境がビジネスを起こせと言っていたからです。
そして何より、私には胸で温めたタイ料理のビジネスモデルがありました。
そして大学の卒論もタイ料理について。
今さらながら考えても、よく卒業できたなと思えます。
結局、日本の文系の大学なんてそんなものなんですよね。勉強をすることが目的ではなく、入ることが目的なわけです。
しかし、ここで大きなミスが!!
当時はワンボックスカーを改造してタイ料理の屋台をしようと考えていました。
オフィス街に繰り出してお昼ご飯を販売して・・・。
今では主流のビジネスモデルですが、当時はまだ目新しかったんです。いける!!絶対に成功する!!
どこからともなく出てくる自信はあっても、ビジネス経験もなければ、事業計画書やお金もありませんでした。
300万ぐらいは必要かな?と思っていたのですが、大学卒業したての当時の私にはお金がありません!!
学生アルバイトで年収100万程度の人間にできるわけもありません。
今でこそ、融資やお金の仕組みなど詳しくなりましたが、当時の三流大学生がそんな知識あるわけもなく・・・。
大学の仲間が就職をして卒業をしていく中、私に待っていたのは、計画も何もない無気力・・・
気がつけばニートになっていました。
夢は誰でも見ることができるけれども、夢を実現可能なレベルに落とし込むこと、はじめの一歩を踏み出すことができる人間はほとんどいません。
私もそのほとんどの人間だったと思い知らされたわけです。
やらされる側になり10年
ニートになってようやく思い出しました。
それはニートが世界から疎外された存在だということ。
浪人時代に味わったあの疎外感・・・このままでは頭がおかしくなる。
高校時代の仲間達はとっくに就職。
ニート心を支えてくれる余裕なんてありません。
なんでも良いから社会に属さなければと焦りました。
人生初の就活。
私が選んだのは飲食店でした。
そこで料理を覚えながら独立資金を蓄えようと考えたわけです。
ニートのだらけた生活の反動か、サラリーマン時代はものすごく働きました。
飲食関係なんて、いわゆるブラック企業。
同僚が一人辞め、二人辞め、先輩も後輩も辞めていく中、気がつけば私だけが残り、役職だけが勝手に上がっていきました。
勝手に役職が上がっていく中、あらゆるビジネス書を読み漁りました。
なぜなら、私の夢は会社勤めでトップになることではなく、起業して経営者になることだったからです。
収入の10%以上を自己投資に回し、本代だけで月に3万円ほど使っていました。
本から学んだビジネスの知識は片っ端から実践。
マネジメントからコーチング、目標達成、組織論、料理の構成、心理学、キャッチコピー・・・学んだことで、できそうなことはすぐに実行。
気がつけば店舗の売り上げを毎年更新し、3年で5店舗のトップになっていました。
大学の入試のような答えのあるものとは異なり、答えのない社会において、自己投資こそが最も効率の良い投資だということが良くわかりました。
日本人の価値観の変わった日
やらされる側のサラリーマンで10年が過ぎた頃、日本人の多くの方の価値観を変えた事件が起きました。
3.11東北大震災。
やらされる側に慣れてしまった斉藤の脳みそにガツンとパンチを食らった瞬間でした。
多くの方がお亡くなりになり、私自身、命の危険にさらされました。
当時は10店舗の料理長として管理をしていましたが、受け持っていた5店舗が崩壊し営業停止。
それでも残った5店舗の営業を見るために、私生活をほったらかしで仕事をし続けたわけです。
今までのあたりまえの生活が一瞬でなくなってしまう恐怖。
生きていることがあたりまえではないと日本国民が知った日。
頭の中で湧き出た疑問がグルグルとめぐります。
「今やっていることは死ぬ前にやりたいことか?」
「今の仕事は自分の人生をかけても良い仕事か?」
「この人生は本当に自分が望んだ人生なのか?」
様々な思いが浮かんでは消え、結果、私が出した答えはこれでした。
「この仕事は死ぬ前にやりたい仕事ではない。」
やらされる側のサラリーマン生活11年目にして会社を後にしたわけです。
起業しても負け
大学時代に考えていたビジネスモデルはすでに飽和しかけていました。
先人の人が言っています。
「思いついたアイディアは1万人が思いついていると思え。」
時間というものはすごく残酷で、思い立ったらすぐに行動に移さなければなりません。
昔描いていた夢はすでにカビが生えたビジネスになり、気がつけば儲からないビジネスになっていました。
そして新しくビジネスモデルを考え都内に飲食店で起業。
半年から1年ほどたった頃、自分にお客さんがついてきてくれるようになっていました。
ありがたいことに、私の顔をみてお店に来てくれ、いないときは携帯に電話がかかるほどお客さんに気に入られました。
様々な人と出会い、お客さんに愛され、すごく刺激的で楽しい一年を過ごしたのだけれども、自分の中で一つのワダカマリが出ていました。
それは『自分がいなければならないビジネスモデル』ということです。
自分の代わりを育てなければならないし、育てたところで代わりになるわけではなく、ではシステムを作れば自動化できるのか?といえばそうではなく、言ってしまえばビジネスの限界値が見えてしまっていました。
散々勉強をしていたにもかかわらず、私は大きな間違いを犯してしまったわけです。
起業家になる、経営者になるという夢を追いかけるあまり、その夢の先を忘れてしまっていました。
もし、これから起業をされるという方は注意深く、あなたの夢の先を思い描いてください。
人生は点ではなく線です。
夢を実現するということは点でしかないわけです。
重要なことは起業家になることや経営者になることではなく、自分が働いていない時にもお金になるビジネスを持つことです。
つまり、投資家の思考がなければ、多くの場合、私たちは自分の夢に喰いつぶされてしまいます。
そんな時分、私の人生を変えた人がお店に来店しました。
ゼロから1年で40億を稼いだ酔っ払いのジジィです。
それって本当にあなたの人生ですか?
ゼロから1年で40億を稼いだジジィについては、このブログの他の記事でも書いているので割愛しますが、私そのおかげで人生を大きく変えることができました。
また、ジジィから学んだビジネスモデルは、現在のインターネットの力を借りれば、コストを限りなくゼロに近づけ、自動化することができるということもわかりました。
私の場合は本当にたまたま、いろんなお店からつまみ出されたジジィと出会えたことで、このチャンスをつかむことができました。
しかし、ほとんどの人間は自分の周りに転がっているチャンスを気づくこともなく一生を終えます。
チャンスだと思っても、はじめの一歩を踏み出すことができません。
何かしらの理由をつけては踏み出せず、自分の今の環境を変えることに臆病になっているわけです。
そして、やらされる側の人生を送ることになります。
それもちっぽけな賃金で。
「それって、本当にあなたの人生ですか?」
やらされる側の人間が集まったところで、面白いものができるわけもなく、ありふれたありきたりの世界しか待っていません。
逆に、やる側の人間が集まった時、そこには私たちが想像もしていなかった新しい世界が待っています。
そういう人達が集まれば、大好きなこの日本という国は、ますます発展をするのでは?と考えるようになりました。
あたりまえの生活を送れていることに感謝をするべきでは?
何かこの国に恩返しはできないのか?
3.11以降、ニート上がりのこんな私でも一丁前に考えるようになりました。
やる側の人も、やらされる側の人も、これも何かのご縁だと思います。
そして、そのご縁から新しいビジネスが生まれると考えています。
頂いたご縁を最大限に活かせるように、私が学んできたことをメールマガジンなどで話していこうと思います。
出会った方々の成長に少しでもお役にたてればと。
それこそが、この国にできる恩返しになるのではと。
様々な方との出会いを楽しみにしております。
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